英語で伝えてるのに「通じない」のは本当に英語のせい???

英語でちゃんと伝えているのに「英語が通じない」と言っている人が気がついていない絶対意識するべきポイント

まず、ここで言う「英語が通じない」というのは、文章でのやりとりの場合です。英語でちゃんと書いている、なんならAI翻訳も駆使して入念にドラフトした英語の文章でコミュニケーションをはかっている、なのに「同じことを何回も質問され続けている」「こまかく説明しているのに質問される」というケースについてです。

私自身、英語が完ぺきでもないし、文法だって間違うし、後から「なんか下手な英語だったな」と思うことはよくあります。でも、英語でのメールコミュニケーションでは「ドンピシャな返事」をもらえたり、いいポイントをつく質問がきて「なるほど!ありがたい!」と思うことがほとんどです。ですから英語圏の同僚とのやりとりは楽しいです。

私は英語で文章を書くときに「めんどくさがらない」ように気をつけています。つまり、端折ったりせず、当たり前と思う事もきちんと理由を添えて、何がどうして、だからどうだ、従ってどうしたい、を1から10までを書くようにしています。

一方で、「英語が通じない」と言っている人の英語文章が下手かというとそうとは限らないのです。ひとつひとつの文章はちゃんと書けていますし何の問題もなさそうです。

では何が一番ちがうのか。

「英語が通じない」と言っている方のメールなどを拝見すると、多くの場合、端折りすぎていると思います。英語という観点からみると情報が点なのです。箇条書き、という意味ではありません。点と点が線でつながっていないのです。情報と情報をつなげる説明、何がいつどうした、だから何を知りたいのか、それはどのような意味を示しているのか、なぜそう思うのか、等々という部分が欠けていることが多いと思います。

日本語は high context 言語

日本語でのコミュニケーションは「相手の想像力に頼っている部分」が多い表現方法です。「日本ではAといえばBです」などという表現。日常会話なら問題ないでしょう。相手が「なぜ?」と聞くかもしれませんし、「そんなもんなんだな」で済ませられることかもしれませんので。日本人同士なら全く問題ない文章です。

英語は low context 言語

英語は、何でもかんでも細かく説明をつけないと言語として成り立たないことが多い表現方法です。英語で書くなら「日本ではAといえばBです。」”In Japan, when we say A, it means B. ” このような直訳はやはり誤解の種。仕事の場ではいただけません。”In Japan, when we say A, it can mean B because A is considered to be xyz, and people find it xxx. ” といった具合にAそのものを自分が(あるいは日本人が)どのように認識していて、日本人はそれをどのように感じているから、という説明が必要です。

日本人は頭のどこかで、「AといえばBというのは常識だろう」と思っているかもしれませんが、日本の外では「AといえばB」が全く伝わらないことさえあるということを覚えておくべきです。アフリカのどこかの国で「AといえばZ」かもしれないのです。そしてその理由も私たちの推測が及ばない可能性も大です。

点と点を結んでみよう

例えば、夜空の絵の上に5つの点があったとします。「夜空の絵に描かれてあるこの5つの点を線で結んでください」と言った場合、あるひとは一筆書きで星を作るかもしれません、ある人は五角形を作るかもしれません。「夜空の絵にあるんだから星を描くに決まってるじゃないか」と決めつけがちなのが日本語的発想、「夜空の絵にあるからって5つの点を結んで何ができるかはわからないじゃないか」「夜空の絵に五角形が浮かんでいてなにが悪い」と思うのが英語的発想、かなと思います。

そもそも文化的に異なる人たちとコミュニケーションをとるのですから、同じ理解がない、という前提に立つくらいで対応してちょうどいいと思います。ちょっとした誤解が大きな損失や無駄につながるビジネスでは、この点には特に気をつけたいですね。

常識、非常識に限らず、「同じことを同じように感じるとは限らない、同じ認識を持つとは限らない」「どう思うかを伝える」「なぜそう思うかを説明する」が大事です。

日本語は点、英語は線、このイメージを持って、英語でコミュニケーションをとるときは「点と点を結ぶイメージ」で説明をするのがよさそうです。

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